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ヤマトの前身「やまもと商店」

2014年6月 9日(月)

釣具のヤマトになる前の山本商店の広告入りチラシ

先ほど、取引先の営業のSさんが当店へ来られていました。

普段なら欠品の商品の確認や、キャンペーンや新製品の情報などをお知らせしてくれるのですが、今日は「会社にこんなもんあったけんど~」とかなり古い当店の広告が入ったチラシのようなものを取り出し見せてくれました。


山本商店の広告「人造テグス界の最高権威」

このチラシには横書きの文字が右から読むようになっており、町名も戦前から戦後に見られたものも多くあったので、恐らく戦前のものかと思います。


当店は1899年(明治39年)創業のため、こういったものがあるのも不思議ではないですが、高知市内は戦時中空襲で焼け野原になってしまっているため、現存していることには驚かされました。


釣具のヤマトは当時、やまもと商店という名前で菜園場町のこの土地に店を構え、土佐カブラの製造販売や、テグス、釣り針の販売しておりました。やがて、第二次世界大戦が始まり終戦間際には高知市一体も焼け野原となりましたが、それでも私の祖父はここ高知の菜園場町に留まり、店を再開。
今日に至るというわけです。


戦後から私が店を継いてでから今日までの歩みは、簡単ではありますが会社情報の運営スタッフ紹介から続く「山本からのメッセージ」にて簡単にではありますが触れております。

お時間のあるときにでもご一読頂ければ何よりです!

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